上総国
■-上総国
■-東海道
別称総州(そうしゅう)[注釈 1]
所属東海道
相当領域千葉県中部
諸元
国力大国
距離遠国
郡・郷数11郡67郷
国内主要施設
上総国府(推定)千葉県市原市
上総国分寺千葉県市原市(上総国分寺跡)
上総国分尼寺千葉県市原市(上総国分尼寺跡)
一宮玉前神社(千葉県長生郡一宮町)
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上総国(かずさのくに、歴史的仮名遣:かづさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属し、現在の千葉県中央部に位置する。
常陸国・上野国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上総介であった。 『古語拾遺』によると、よき麻の生きたる土地というところより称したとされる?国(ふさのくに)から分立したという。分立の時期については、『帝王編年記』では上総国の成立を安閑天皇元年(534年)としており、毛野国から分かれた上野国と同じく「上」を冠する形式をとることから6世紀中葉とみる説もある[1]。 6世紀から7世紀にかけ多くの国造が置かれ、後の安房国も併せ8つの国造の領域が存在しているが、ヤマト王権からはこれらの国造の領域を合わせ?国(もしくは上?国)として把握されていたものと考えられ、ヤマト王権と緊密なつながりを有していたともされている。藤原京出土木簡に「己亥年(699年)十月上?国阿波評松里□」とあり、7世紀末には「上?」の表記であったと推測されるが、大宝4年(704年)の諸国印鋳造時には「上総」に改められた[2]。読みは、古くは「かみつふさ」であったが、「かづさ」に訛化した。「かみつふさ」の転であり、歴史的仮名遣では「かづさ」と表記されるが、現代仮名遣いでは「かずさ」とするため、「つ」に由来することが見えない状況となっている。 明治維新直前の領域は、現在の千葉県の下記の区域に相当する。 律令制以前は、須恵、馬来田、上海上、伊甚、武社、菊麻、阿波、長狭の8つの国造が置かれていた。律令制において、市原郡、海上郡、畔蒜郡、望陀郡、周淮郡、埴生郡、長柄郡、山辺郡、武射郡、天羽郡、夷?郡、平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の15の郡(評)をもって令制国としての上総国が成立し、東海道に属する一国となった。元々東海道は浦賀水道を突っ切る海つ道(海路)であり、房総半島の畿内に近い南部が上総国、遠い北部が下総国とされた。 養老2年5月2日(718年6月4日)、阿波および長狭国造の領域だった平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を割いて安房国とした。天平13年12月10日(742年1月20日)、安房国を併合したが、天平宝字元年(757年)に再び安房国を分けた。
「上総」の名称と由来
領域
千葉市緑区の東部(下大和田町・高津戸町・大高町・越智町より南東)
市原市
袖ケ浦市
木更津市
君津市
富津市
山武郡横芝光町の西部(栗山川以西)
山武郡芝山町・九十九里町
山武市
東金市
大網白里市
茂原市
長生郡白子町・長生村・一宮町・睦沢町・長南町・長柄町
いすみ市
夷隅郡御宿町・大多喜町
勝浦市
鴨川市の一部(四方木)
沿革
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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